廃業直前の山一證券株での成功体験を機に、彼はアップダウンの激しい仕手性のボロ株取引にハマっていく。常勝とまでは行かないものの、トータルでは勝ち越して、投資開始から2年目には資産総額が1300万円を超えた。期を同じくして彼は新卒で入った会社を辞めている。

 「これだけ儲かっていれば、会社勤めをする必要はないだろう、と思ったんですよ。でも、それは驕りだったわけですけど……」

 相場に好不調があるように、投資家にも好不調の波はつきもの。彼も専業になった途端、突如として大スランプに見舞われる。

 「今までと同じようにやっても負ける、という状況が続き、退職から半年足らずで資産はほとんどゼロ。それどころか、マイナスになった時期もありました。それで自分のやり方を見つめ直すうちに、情報量が圧倒的に足りないことを痛感するようになったんです」

 もっと情報収集をしよう、ほかの投資家の姿勢を学ぼうーー そう考えたマナビィ氏が熱心にウォッチするようになったのが、その頃ようやく普及し始めたインターネットの株式投資掲示板だった。

 「掲示板の発言から『この人はうまい』と思う人を見つけたら、実際に会って詳しく話を聞くために、積極的に掲示板でメッセージを送ったんです。もちろん、なかなか会ってはもらえないですよ。でも、熱意を伝え続けた結果、8人くらいの達人から生で話を聞くことができました。当時僕は大阪に住んでいたんですが、沖縄や東京まで遠征したこともありましたね」

 現役ディーラーなどの達人投資家たちに彼が必ず尋ねたのが、トレードの買いと売りの根拠

 「なぜここで買い、なぜここで売ったか。それをしつこく聞きました。もちろん、皆さん根拠はバラバラなんですが、手法を確立している人の話はブレないから、すごく参考になる。そこで聞いた貴重な意見は、自らの手法を再構築するうえでも役に立ちました」

 また、こうした達人行脚を続ける一方で、マナビィ氏は再び投資以外の仕事を持つようになる。

 「3年前に今の会社に就職しました。きっかけは、話を聞いた達人の一人に、『投資でサラリーマンの年収分も稼げないヤツは働け』と言われたこと。本当にその通りだと思ったので実行したんです」

 サラリーマンに戻ってから投資手法は激変する。まず、専業時代に好んだデイトレから、数日〜1か月は銘柄を持つスイングトレードに切り替えた。さらに、ビジネスの現場でよく言われる「PDCAサイクル」(右表参照)の考え方を、投資に応用し始める。

 「PDCAサイクルは、まず入念に業務計画を立て、それを実行し、計画の内容について再検討して次に活かす、というのが一連の流れです。これを投資に当てはめて、計画的に売買をし、失敗したらその理由を検証する、という作業を徹底するようにしたんですね」

 この姿勢が功を奏し、以後、彼は冒頭で紹介したような驚異的な成功を収める、スーパートレーダーに生まれ変わったのだ!



■マナビィ氏
'74年生まれ。専業トレーダーを経て、現在はインターネット広告会社に勤務。
仕事の合間に日本株のスイングトレードを行う。
目標は40歳までに総資産3億円を達成すること