ビジネスマネジメント「PDCAサイクル」を投資に応用して、連日の快進撃!


’06年のライブドアショック以降、日本株の人気は低下。今やサラリーマン投資家の主戦場はFXに……。
ところが今回、小誌はサラリーマンでありながら1年で5000万円以上も稼いだ日本株トレーダーを発掘!
その驚くほどシンプルな手法を大公開する!




短期で1000万円の損失も。波瀾万丈のスピード人生


 ’08年秋のリーマンショック以降、長引く相場の低迷から、ジリ貧になって退場を余儀なくされた投資家は数多い。しかし、サラリーマン投資家・マナビィ氏のように、弱気な相場環境を物ともせず、荒稼ぎした猛者もいる。

 マナビィ氏もいったんリーマンショックでやられはしたが、直後に再起をかけて30万円入金。そこから得意のスイングトレードを駆使し、今年3月現在で3374万円まで資産を膨れ上がらせた。ちなみに、別口座の取引もあるため、昨年の利益は合計約5000万円にも上るというからすごい。

 サラリーマンであるマナビィ氏は、ザラ場中の取引が難しい。特殊なシステムトレードをしているわけでもなく、頑なに日本株に固執しながら、ここまでの結果を出せたのは、今に至るまでの紆余曲折が大きく影響しているようだ。

 「思えば、小学生の頃からお金が好きだったんですよね」

 と、マナビィ氏は振り返る。現在35歳である彼の小学生時代は、バブルの絶頂期と重なる。

 「当時、家にあった新聞を何となく眺めていたら、株式欄が目に止まったんです。会社名と株価が毎日掲載されるアレですね。株価が日々変動するのが面白くて、有名な会社をチェックするのが習慣になりました。それで、だんだんと『自分でも株を買ってみたい』と思うようになったんです」

 とはいえ、小学生に自分で株を買うすべはなく、親にねだっても答えは「NO」。当然といえば当然だが、「それでも諦めきれず、小学生でも小遣いで何とかなる株はないかと、目を皿のようにして株式欄を探しました」とマナビィ氏。だが、当時はほぼすべての銘柄の単元株数が1000株。今のように数千円から買える株は存在せず、夢はあえなくついえてしまう。




ファミコンソフトで投資の基本をマスター


 その代わり、マナビィ氏は『松本亨の株式必勝学』というファミコンソフトを入手。今ではたくさん発売されている株式シミュレーションゲームの先駆けで、当時ちょっとしたブームになっていた。

 「経済評論家の松本亨さんのアドバイスを受けながら、株式投資や土地転がしをして、元手の100万円を1億円にする、というゲームでした。あくまでゲームなので、細部は簡略化されていましたが、出てくる銘柄は実在のものでしたし、注意していないと株価の値上がりに乗り遅れるというリアルな駆け引きも味わえて、勉強になりましたよ。中学生くらいまで、かなりやり込んだ覚えがあります」 その後は学生生活が忙しく、しばらく投資と離れた日々を送るが、社会人1年目に投資熱が再燃。

 「働き出して、ようやく自由になるお金ができたので、夢だった投資を始めることにしたんです。入社直後は忙しすぎて、お金を使うヒマがなかったので、ある程度まとまった資金もできていました」

 本格的に投資対象を物色し始めたのは、’97年秋のこと。折しも山一證券問題が紛糾しており、相場は大荒れ。もちろん、山一證券の株価は連日安値更新という悲惨な状況で、初心者はもちろん、手だれの投資家でも手を出しにくい状況。しかし、ここでマナビィ氏は、山一證券株を初戦の投資対象に選ぶという大勝負に出る。

 「1万株を77万円で買いました。そのときは口座に80万円くらいしか入っていなかったから、全力買い。当時はまだネットでリアルタイムチャートが見られる時代じゃなかったので、毎日、新聞の株価の変化だけを見ての判断でしたが、さすがに下げすぎている気がしたんですよね。倒産懸念があるとはいえ、絶対にリバウンドするだろうと感じて、買ってみました」

 その直感は的中し、翌日、株価が99円になったところで売り抜け、22万円の利益を手にした。山一證券が自主廃業したのはその翌週。マナビィ氏はまさに最後のチャンスを、これ以上ない絶好のタイミングで捉えたのだ!



■マナビィ氏
'74年生まれ。専業トレーダーを経て、現在はインターネット広告会社に勤務。
仕事の合間に日本株のスイングトレードを行う。
目標は、40歳までに総資産3億円を達成すること