経済学者 飯田泰之 × 時代劇研究家 春日太一
地方への財源や権限の移譲を目指す「地方分権」改革。これを旗印とする政治家の人気は高まれど、実際は遅々として進まず。その理由は徳川家康の不人気っぷりと同根だった!?エドノミクス、今回は"国家"と"官僚"について、時代劇から現代を照射する!



飯田:だとしても、家康は人気がなさすぎな気がしますけどね。

春日:なんといっても、司馬遼太郎の『関ヶ原』がある種のものを決定づけた気がします。家康像は二つあって、青年期から始まる、耐え忍んで花開いたという山岡荘八が作ったキャラと、晩年、天下取りのために義の人・石田三成をハメていった策士のイメージ。これをつくったのが司馬の『関ヶ原』です。戦後は司馬の作ったイメージがすべてになっていく。司馬は家康が嫌いですから、家康に与した人間も嫌い。なぜか、加藤清正だけは許されるんですけど。

飯田:司馬が加藤清正を好きなのは、熊本城がかっこいいからだと思う。

春日:確かに熊本城はかっこいですけど(笑)。『関ヶ原』では、朝鮮の役から帰ってくるところから司馬は始めていますが、各大名がボロボロになって帰ってくると、領土は疲弊しているのに、石田三成たちはシステムを作っているから、五奉行より上にいる。「冗談じゃない」というときに、秀吉が死んでしまう。その不満を吸収する形で家康が出てくる。まさに、地方の疲弊と豊かになりつつある大坂の対立。小泉政権のときにもあった、「地方を知ってくれ」という声です。

飯田:大坂が中央集権都市として発達すると、ストロー現象で周辺の小都市は衰退してしまう。戦後の日本のように人口大移動が起きなければいけないのですが、当時はそういう時代ではないですからね。

春日:大坂だけでなく、大坂城・伏見城・聚楽第を中心とした首都圏が確立してました。この3か所は淀川の交通網でその日のうちに移動することができ、さらに堺があって、その堺の奉行が石田三成です。秀吉はものすごく考えて、三成に統治させていたはずですが、三成は、日本という国がことのほか土俗的な国であるということに気付かなかった。「地方を知ってくれ」という声が三成には届かない。インテリの弱さと言えるかもしれませんが。

飯田:朝鮮出兵のとき秀吉は日本国王と名乗っていますが、結局、頭の中に「日本という国」がある人とない人の違いではないかな。五奉行組と秀吉側近官僚組は、日本という国がある。家康たちにはない。

春日:秀吉のミスは、五奉行って、浅野長政以外は全部、近江と大和という、いわば首都圏に領土を有している人間です。完全に地方分権と中央集権が分かれていた。司馬の『関ヶ原』、NHKの大河ドラマ『黄金の日々』には、これがはっきりと描かれています。そう考えると、家康が江戸という関東の田舎に移封されたのが逆に効いてくる。もしも、駿河が本拠地のままだったら、あそこまで田舎の代表になれたかどうか。今でも覚えていますけど、小学館『マンガ日本史』で秀吉に「お前明日から関東に行け」言われて、家康は「えー」と驚いて。家康が草を分けながら進んで行き、そこに現れた関東平野を見て、「これを開発するんだ¡」みたいなシーン終わってたんですよね。



飯田泰之
飯田泰之氏
’75年東京都出身。エコノミスト、駒澤大学准教授。専門はマクロ経済学、経済政策。わかりやすい経済解説には定評があり、雑誌やテレビ等でも活躍。単著に『飯田のミクロ新しい経済学の教科書』『歴史が教えるマネーの理論』など。共著に『農業で稼ぐ!経済学』『経済とお金儲けの真実』などがある。春日太一氏とは高校時代の先輩・後輩の間柄


春日太一
春日太一氏
’77年東京都出身。時代劇研究家。時代の流れの中で変貌を余儀なくされる撮影所システムや文化について、現場の声を丹念に集めながら記録を続けている。著作に『天才勝新太郎』『時代劇は死なず!京都太秦の「職人」たち』『時代劇の作り方プロデューサー能村庸一の場合』『仁義なき日本沈没:東宝vs東映の戦後サバイバル』。また、『週刊文春』で連載中