吉田 恒氏 大台100円を大きく超えてドル高・円安が進むなかで、日本の金利も一時急騰するなど、日本政府、通貨当局内にも「円安全面賛成」ムードが少し変化してくる可能性も一部で注目されてきたようです。

 そこで今回は、円安誘導政策を行い、次第に円安批判が強まるようになった場合、これまではどんなふうに「幕引き」に動いてきたかについて少し考察してみます。


◆1990年代後半の円安「幕引き」の例


 1995年4月、1ドル=80円「超円高」反転に伴うドル高・円安トレンドを例に考えて見たいと思います。80円の円高是正の動きは、1995年夏前に、異色の財務官僚、榊原英資氏、「ミスター円」が登場すると加速しました。

 そして、そんな円安の「幕引き」に最初に動いたのも「ミスター円」でした。1996年11月、114円程度でドル円相場が推移していたなか、榊原氏はある経済専門紙のインタビューに答え、「何か勘違いがあるのではないか。私は円安誘導なんてしていない」と、円安誘導政策を否定し、一時的に円は急反騰となったのです。

 この日は米大統領選挙で、民主党クリントン大統領の再選が決まった日でした。その意味では、80円からのドル高・円安も、110円を越えたあたりから、さすがに米産業界などからの批判も強くなっていたのですが、選挙への影響に配慮したうえで静観していたものの、選挙での現職大統領再選を確認して円安けん制を「解禁」したということではなかったでしょうか。

 それにしても、大きなドル高・円安の流れは変らず。すると、「幕引き」の二番手で登場となったのは当時の米財務長官、R.ルービンでした。この円高是正のスタートは、1995年4月、ルービン財務長官も参加したG7でドル安を反転(リバーサル)させるという合意だったが、その仕掛け人の一人がドル高の「幕引き」二番手に登場したのは1997年2月でした。

 1ドル=125円程度までドル高・円安が進んできたところで、ルービン氏は、当時彼の決め台詞になっていた「強いドルは国益」という言葉を使いながら、それに一言付け加えたのです。「ただもうかなりドルも強くなった」。

 そもそも「超円高」の始まりは、1993年に誕生した民主党・クリントン政権がポスト冷戦で日米貿易摩擦解消に動いたことがあったと理解されています。そのクリントン政権発足時のドル/円は125円でした。それが「超円高」80円までドル安・円高となり、1997年2月には、再び元の水準まで戻ってきたところで、ドル高の「幕引き」に動いたのかもしれません。

 しかしそれでも、ドル高・円安は止まらなくなっていました。1998年になるとついに140円を超え、すると日米は協調でドル売り介入に動いたのです。それでも止まらなかったドル高・円安は、結果的にこの年の夏、147円でようやく終了するところとなったのです。

 さて、以上から考えられる円安誘導「幕引き」の手掛かりの一つは選挙でしょう。選挙前は、政治的影響に配慮し「余計なことは言わない」という政治的不文律はあるかもしれません。そうであれば、7月参院選以後は、ドル高・円安への反応に何か変化出てくる可能性は一つ注目されるかもしれません。


【吉田 恒氏】
1985年、立教大学文学部卒業後、(株)自由経済社(現・(株)T&Cフィナンシャルリサーチ)に入社。同社の代表取締役社長などを経て、2011年7月から、米国を本拠とするグローバル投資のリサーチャーズ・チーム、「マーケットエディターズ」の日本代表に就任。国際金融アナリストとして、執筆・講演などを精力的に行っている。また「M2JFXアカデミア」の学長も務めている。
2000年ITバブル崩壊、2002年の円急落、2007年円安バブル崩壊など大相場予測をことごとく的中させ話題に。「わかりやすい、役立つ」として、高い顧客支持を有する。
著書に『FX7つの成功法則』(ダイヤモンド社)など

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